2011年08月17日
東日本大震災から5ヶ月。
去る8/13の土曜日。
今回のお盆休みを利用して東北地方の被災地を見てきました。
うちのオヤジが福島出身でこのお盆に行くとの事で、
それなら是非ぼくも一緒に行こうではないかと便乗して行ってきました。
結果的に宮城県(仙台)~福島県(南相馬市・二本松市)を
一日で回る強行なスケジュールとなりました。
今回のお盆休みを利用して東北地方の被災地を見てきました。
うちのオヤジが福島出身でこのお盆に行くとの事で、
それなら是非ぼくも一緒に行こうではないかと便乗して行ってきました。
結果的に宮城県(仙台)~福島県(南相馬市・二本松市)を
一日で回る強行なスケジュールとなりました。
■宮城県仙台市七ヶ浜(小豆浜)











…海岸通沿いの歩道はめくれ上がり、砂浜には仙台港から流されてきた
コンテナが無数に転がっていました。
■福島県南相馬市
(道の駅/南相馬)




自衛隊や警察官・ボランティアの方々へのお礼が貼られていたり
地域の放射線量を示したMAPが貼られていたりと、
正に被災地でのリアルな情報がそこにはありました。
(南相馬市原町区の第一原発半径30km圏内の沿岸 ※詳細不明)











津波のあとで地面は湿った砂が溜まっている。
瓦礫はまとめられている状態で、集積場所としての看板があちこちに建ててあった。
防波堤はめくれ上がり、家が建っていたあとだけが無惨に残っていた。
偶然に会った地元の人に話を聞くと、この辺りは集落で家がたくさんあったらしいが
今はホントに何もなかった。
(北泉海水浴場:東北電力原町火力発電所周辺)







今も稼働していない「火力発電所」。本来この場所はキレイに整備された
海水浴場でたくさんの人で賑わう場所だったそうです。
無惨に瓦礫が集められていて、地面は割れていて、回りは何も無い。
遠くからでも確認出来る「火力発電所」の凹んでいるタンク(?)や、
ひん曲がってしまっているクレーン。
その下にある中身が無くなっていて筒抜けになっている建物。
(南相馬市内の田畑 ※詳細不明)





海からはかなりの距離なはすですが、漁船やその他の船が田畑に流されて来て
今もそのままになっていた。…嘘みたいな情景だった。
写真には撮っていませんが、
テレビで見た様な「ぬいぐるみ」や「思い出の品々」らしきものが
キレイにまとめられて道沿いに集められていた場所もありました。
また、やたらとヒマワリが花を咲かせてキレイだったのですが
どうやら原発事故の影響で作付けができなかった畑にヒマワリの種をまき
ヒマワリ畑にしているそうです。ヒマワリは放射能を吸収してくれる性質がある様です。
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実際に見たその状況は、テレビやネットで見ていた情景とは違っていました。
震災直後から比べれば随分と片付けられ、少しづつでしょうが
整備されてきているのでしょう。
そういう意味では復興に向かっているんだろうと思います。
…しかし、ぼくが見たこの状況はきっと来年の今頃でも
それ程変わってないんじゃないだろうか。
元に戻すのかどうかは分かりませんが、
ある程度復興していくのには最低でも3年〜5年は
かかってしまうんじゃないかと感じた。
…本当にまだまだ時間はかかりそうです。
ぼくらに出来る事は、この震災はまだまだ終わっていないし、
まだまだ続いて行くというのを忘れてはいけないという事。
募金や義援金なども「一過性」「旬」「流行り」で行うのではなく、
出来る範囲でいいので継続して行う事が大切なんだろうと改めて思いました。
阪神大震災を経験して、それを見たぼく達は、
ほんの少しでも被災地の事を思う事・感じる事くらいは出来るだろう。
それに加えての、原発事故の「放射能汚染」問題。
本当に東北は非常事態です。そしてこれは東北だけの問題ではないのでしょう。
…ぼくの拙い表現では、言葉が軽いし説得力はない。
それがもどかしくもあるが、自分への備忘録的な意味でブログにアップし
今回の事を忘れない様にしようと思うのだ。
Posted by リヤル at 20:20│Comments(0)
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